山形MT参加 2002年08月9日〜11日 1日目

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山形MT参加 2002年08月9日


第一弾 山形MT参加 2002年08月9日〜11日 8月9日(金曜日)

金曜、仕事終了後、荷物をバイクに括りつけた。
前日に用意は済ませてある。
万が一の事を考え、エアツール以外の工具を全て積み込んだ。

時間は夜の8:00.
愛車、FLHを始動させ暖気を少々行った。
待ち合わせ場所の大津SAまでは1時間30分ある。
余裕を見ての出発。

旧1号線を京都方面に愛車を走らせる。金曜の夜ということもあり
通行量は少し多めだ。
夏の夜の風は少々、体にまとわりつく。

京都南ICで名神に乗り、kentaroさんとの待ち合わせ場所大津SAまで一気に走行。
すこぶるエンジンの調子は良い。120km/h巡航で行くとすぐに大津SAに到着した。
彼はまだ到着していなかった。
少し時間があったのでパッキングをし直し、偶然、いつもエボリューションで会っていた
方にであったりして時間を過ごしていると、威圧的なHDサウンドが・・・。

kentaroさん到着。
しばし談笑し、腹が減った居たのでラーメンを食し、出発。

月明かりの中、エボ、ショベルという新旧のエンジンを積んだ2台のHDが
長野は飯田を向けて出発した。

kentaroさんのタンク容量が小さいためGSのある場所では確実に給油をするため
当初から休憩は多めに入れるつもりだった。

彼は19歳のショベル相手に120〜130のスピードで走行した。
離れるのもしゃくなので、着いていった。
しかし、130になるまではほとんど振動もなく、このままの巡航でもなんら
問題はないのではと、思わせる程の調子が良い。

しかし休憩の度に談笑をするもので、結局時間が掛かってしまう。

中央道に乗る手前でいきなり、100以上出なくなった。
エンジンは回転すれど、後輪が回転せず。

追い越し車線走行をやめ、走行車線に戻り、そのまま路側帯へ。
kentaroさんはそのまま行ってしまった。どこかで気付くだろう。

暗闇の中、横を高速で走行する車の流れに身を置くのは危険と思ったので、
路側帯を20km/hで走行。というかそれ以上の速度が出ないのだ・・・。
しばらく走ると運良く、高速バス亭があった。
そこの端っこの明かりが取れるスペースで、工具を取り出し
ダービカバーを開けた。エンジンはOKなので、駆動を後輪に伝えていないだけ。
ならば、考えられるのはクラッチの滑りだろうと・・・。

ダービーカバーを開けると、案の定、プレッシャープレートを押さえるナットが
緩んでいた。またプッシュロッドのロックナットが外れて、下のほうで転がっていた。

ナットを拾い上げ、クラッチの調整を行い、試走。なんら問題なく走行可能。
そのとき、kentaroさんからメールあり。「大丈夫ですか?内津峠PAにいます」と。
「心配無用。修理完了次第そちらに向かう」と返信。
彼はこのとき1時間のタイムロスを考えていたそうだ。

30分ほど時間を食ったが、修理完了後、出発。
なんら問題なく走行可能。ものの20分ほどで内津峠に到着。

「SASさーん!大丈夫ですか?」心配そうに彼が見る。
暗闇のなか、修理するのは心細かったが、彼の顔を見れると安心した。

飯田のホスト安里さんには遅れる旨連絡し、そのまま一気に飯田まで走行した。

草木も眠る丑三つ時、2人は飯田に到着。

安里さんの待つコンビニまで走行。真夜中、飯田で安里さんと堅い握手を。


そのまま、安里さんの奥さんの実家に行き、宿泊させてもらう。
シャワーのあったかいお湯が有難かった。

大阪から遠く離れた場所で宿がある・・・。こんなに嬉しい事はない・・・。

8月10日に続く


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